社会の安心・安全を支えるバルブ “社会の安全弁”として
社会の安心・安全を支えるバルブ “社会の安全弁”として
2012年3月21日 日刊工業新聞 16-17面掲載
中北 徹 教授(東洋大学理事)
奥津 良之氏(日本バルブ工業会広報副委員長)
ビジネスのグローバル化とともに、バルブ市場も新興国の台頭で競争は激化している。一方、国内需要は停滞傾向にあり、過当競争そして価格の下落も深刻だ。また、社会不安をあおるように各種産業プラントの災害や不適合が相次ぎ、その破壊規模や影響も巨大化している。バルブは現場操作部として極めて重要な役割を果たすが、その機能・操作法・重要度などが正しく社会に認知されているとは言い難い。ますます巨大化・複雑化する近未来を見据え、バルブ産業は安全・安心の社会構築にどう応えていくのか。「バルブの日」を迎え、国際経済学や金融論・産業組織論に詳しい東洋大学理事・中北徹教授と、日本バルブ工業会・奥津良之広報副委員長(山武、4月よりアズビルに社名変更)が日本のバルブ産業を論じる。
奥津 バルブは水道などの社会インフラや石油化学・電力産業プラントなどに多数配置されるほか、金星探査機「あかつき」などの航空宇宙分野でも使われ、幅広い分野で重要な役割を担っています。しかし、バルブの重要性に対する世の中の認知度は必ずしも高くありません。中北先生はバルブに対してどういう認識をお持ちですか。
中北 私にとってバルブは“社会の安全弁”と呼べるもので、安全・安心社会を作る上で重要な貢献を果たしていると考えています。ただ、バルブは普段目に付かない部分に組み込まれている場合が多いので、バルブ単体で認識される機会は少ないと思います。
奥津 バルブ業界にとって、バルブの役割と重要性をアピールして認識を高めていくことは喫緊の課題でもあります。
中北 業界側から積極的に動くことで、認識を改善できる余地は大いにあると思います。例えば、中国がレアアースの輸出を制限した際、それを契機に、当時あまり世間で知られていなかったレアアースの認知度が一気に高まりました。バルブも同様に、きっかけさえあれば認知度が高まるでしょう。しかし、昨年の東京電力福島第一原子力発電所の事故では、バルブの手動開閉によってベントが行われ、巨大惨事を避けられましたが、バルブの役割は詳細には語られませんでした。
奥津 私たち業界側からバルブの重要性を語ろうにも、バルブは単純で、枯れた技術分野という誤解があります。1+1=2となるソフトウエア開発と違って、多様な流れの高エネルギーを円滑に消散させる流体工学分野1つをみても、奥が深く、やさしい技術分野ではありません。バルブは多様で、実は難解な機械のため、別の視点から平易にバルブの存在価値を社会へアピールしていく必要もあります。満2歳の「ばるちゃん」には平易なイメージの発信を期待しています。
中北 私は、機器単体でなくメンテナンスを含めた流体エネルギー管理システムの中でバルブの重要性は高いと思います。日本はこれまで、高品質の機器を単品で売るビジネスが主体でした。今後は、システムとしてアジアなどに売り込むことが重要です。その点で、日々の安全点検の仕組みや耐久性確保といった安全性の高いシステムとして海外に展開する動きが加速すれば、バルブの認識も同時に高まるのではないでしょうか。
奥津 システムに関しては、日本からアジアへの水インフラ輸出が期待されています。中北先生は日本の水インフラ環境の現状や今後の事業方向性についてどのような考えをお持ちですか。
中北 日本の上水道は、これまで自治体が自らの業務として独占的に運営してきました。しかし、財政状況が苦しくなったことなどから水道管の老朽化や耐震化の遅れが目立ち、設備の改善、更新の必要性が高まっているのが現状です。また団塊世代の技術者の大量退職に伴い、技術伝承の面でも深刻な問題に直面しています。一方、民間企業が水事業の経営や維持管理を担う機会がありませんでした。そのため、バルブやポンプ、膜処理で高度な技術を持っていながら、事業を上流-下流まで一気通貫で運営できる企業が育っていない。オールジャパンで海外に進出するためにも、そのとりまとめ役となる企業のリーダーシップが必要です。
奥津 水道を含めた社会インフラでもバルブの役割は重要です。コンピューターでバルブやシステムの状態を遠隔管理し、災害時などには、緊急作動バルブによって、システムの安全性を確保できることが現代の技術水準です。
中北 バルブの重要性の認識が社会的に普及することで、私たち自身の安全への考え方も変えていかねばなりませんね。例えば地震が起きた時は最初に火を消すように言われますが、今ではガスを自動で遮断するバルブが付いており、まずは避難することが先決なのです。しかし、そうしたバルブの役割は世に知られておらず、今も火を止めることが先決、という考えを多くの人が持っています。バルブの役割・機能はもっと広く認知されるべきです。
奥津 バルブメーカーの中にはグローバル化を進める企業も出てきました。グローバルで勝ち抜く上では何が必要となってくるのでしょうか。
中北 グローバル競争では、安価な中国・韓国製品などが台頭しており、価格競争は激しさを増しています。一方で、価格は高くても高機能、高品質、安全性の高いものを長く使いたいというセグメントされた需要があるはずです。
奥津 バルブは40-50年使い続けるものも多く耐用年数が長い機械です。そのため、交換する部品なども当時のものが必要となります。例えば産業プラントの場合、運転を1-2カ月間止めて定期修理を行いますが、異常が見つかると修理期間中に同じバルブ部品を作り、再稼働までに納めなければいけません。
中北 メーカーには製品の図面管理や製造設備を扱うノウハウを伝承し、顧客の追加発注に迅速に対応できる体制が求められます。一方で収益性の高いビジネスモデルを構築することが重要です。ドイツ製の機械は高価ですが、彼らは機械・設備を納めた後のメンテナンスや機能拡張などのサービスに力を入れることで高い収益力を誇る。高頭脳型の知的サービスともいえます。日本企業もコスト削減だけでなく、時間軸で切ってどこで利益を上げるかにもっと重点を置くべきではないでしょうか。操作の専門家・安全性の維持・引き上げなどが訴求ポイントになります。
奥津 バルブメーカーには、グローバル化に取り組む企業がある一方で、国内での事業に重点を置く企業も多数存在します。国内市場で生き残るにはどう考えれば良いでしょうか。
中北 日本には、モノづくりに対する高い技術と職人芸が代々伝承され、連綿と続く老舗ファミリー企業が多くあります。そうした企業を尊ぶ風潮も残っています。また日本は目の文化ともいいます。モノを一生懸命に観察し、触って、研究して、物として完成させてきた。職人芸の世界は強みです。このファミリー企業の比率は世界に類を見ないほど高く、金融や会計関係の方たちは現在これに注目し力を入れ始めています。この日本的な精神の母体ともいうべき企業文化を、自治体とも協力し守る動きです。若い人には積極的に参加していただき、日本らしいビジネスモデルを構築しようとしています。しかし、良い技術を持っているだけでは厳しいと思います。国内他社と連携あるいは業界が音頭をとり、システムとしての事業展開を進めるなど、新たなビジネスモデルを早急に構築することが望ましい。「公民連携」(PPP)が1つのキーワードです。
奥津 グローバル戦略を進める上では、国際標準化への取り組みも重要です。日本バルブ工業会でも、国際標準化機構(ISO)や国際電気標準会議(IEC)などの国際活動に積極的に取り組んでいます。世界標準は世界の技術水準でもあり、追従できない場合、市場から淘汰されることを意味します。技術水準を引き上げ、日本からも新しい規格を提案できれば、グローバル競争で日本に有利に働くと思いますが。
中北 その通りです。世界標準規格作りは、自分のドメイン(領域)を作るという陣取り合戦でもあります。米国はビル・ゲイツやアップル社のようにデファクト型、欧州は皆で主張し討議しながら決めるデジュール型。日本の劣勢は、歴史的には20年程前に世界貿易機構(WTO)の東京ラウンドの際、欧州と違う規格は参入障壁であるとの主張に日本が載せられてしまったことを起源にしています。当時は安くいい物を作れば黙って売れると日本は信じ、心の準備ができていなかったのでしょう。もはやさかのぼれませんね。国際規格は相対的なものです。主張しなければいけない。自ら主張することで技術の世界標準化を進めていく必要がある。そのためにも発信力や提案力を持つことが重要です。規格を作る時、各国他社の事情を察知して助言するようなソリューション(解決策)を提供できる能力が不可欠です。それがないと、たとえ良い技術やシステムを持っていても、世界で生き残っていけません。
奥津 グローバル競争では、目先のことばかりでなくビジネスを長い目で見た時の戦略を考えていかねばいけません。その中で、世界標準戦略も不可欠な経営資源投下の一つと認識して取り組んでいく必要があります。
中北 日本の教育は外国からの教科書を横書きから縦書きに直して学んできました。この明治維新以来のやり方がなお残っているのではないでしょうか。半分でもいいから日本の主張を世界規格に盛り込む、情報発信が必要なのです。大学での教育もここに重点を置きたいと思います。つまり発信力を付けないと生き残っていけません。
実例を2つ紹介しましょう。1つ目はかつての日米自動車電話交渉時の話です。米国から来たエキスパートの名刺の裏には「Strategy & Standard」と書いてありました。両社は本来、一体です。政府を巻き込んだ交渉は壮絶なものだったと記憶しています。規格を制するものがビジネスの世界を制するのです。2つ目は山手線の信号システムの例。世界に冠たる素晴しいシステムでありながら、第三者に説明できる文書体系がない。第三者に定義から書き渡せるものがないのです。これでは海外に売れない。世界標準の体を成していないのです。これらの実話は主張できる人材育成の必要性も示唆します。ただ一方で、国際規格はConvenor (議長)とSecretary(秘書)で意外と簡単に修正提案内容を書き加え、本会議に諮ることもあって、この辺の幅のある事務手続き感覚も、若い国際要員には身につけて欲しいと思います。
奥津 IECのTC65(計測と制御部門)では産業プラントワークフローのデジタル・ファクトリー化の規格作業が進められています。またスマートグリッド規格検討も開始されています。私も現在は調節弁分野での国際Convenor(議長)を仰せつかっています。LOPs(機器仕様のデータ化)を扱いますが、これは機器(デバイス)の仕様(プロパティー)の電子化に関するWG(作業グループ)です。計測と制御に関する全ての機器仕様データをコンピューターが読める記述に変換する世界標準規格となります。機器のクラス分類と定義から議論がスタートしています。各国の主張がうまく合意するよう国際貢献したいと毎回念じています。
中北 地域独占型のビジネスモデルから転換が必要とされる東京電力などの電力産業に、成長産業であるエレクトロニクス・ネットワーク産業が参入してきて、もっと高度なネットワークで電力と情報の制御を行っていく。それで支配していく。電力業界はそれを恐れているし、それがおそらくはスマートグリッドの本質だと思うのです。中枢の送配電のところがコンピューター化されてしまうと一発でおしまいですから、それをスマートグリッド・ネットワーク企業は考えているわけです。そのインフラを支えるバルブ類も複合ネットワーク型にどんどん食い込み、対応していけばよいと思います。奥津さんのLOPs規格もまさにそのための第一段階と私にも推察されます。
奥津 最後になりますが、冒頭でお話されたバルブは「社会の安全弁」の意味をもう一度お聞かせ下さい。
中北 地震・津波・原発事故 これらから分かったことは全電源喪失しても安全が守られる、ちゃんと作動するという社会を作らないと国民から信頼を失うということです。最後の守りを失った社会の怖さ、惨めさと劣等感を日本国民は共有しました。一方で、団結しようという日本の若者たちの強さも再確認しました。安全への限りない追求。若者は特にこのことに敏感です。安心して頼れる社会の安全ネット、必要なときに安心して頼れるバルブが社会のあらゆる場所にちりばめられるべきです。いざという時に流れを止めたり開放したり、調節したり、または流れ方向を変えたりする機能が根本的に必要です。システムの安全の見直しはたゆみなく繰り返されるはずで、バルブは「社会の安全弁」としての重要性が一層認識されると信じています。
奥津 本日はありがとうございました。