バルブってなに?
バルブは「流す」「止める」「絞る」ための機器です
私たちの生活の中でいちばん身近なバルブは水道の蛇口です。
水を飲みたいときには蛇口を開けて水を出し、出しすぎたかなと思ったら少し閉め、コップに水を注ぎ終わったら蛇口をきっちり閉めて水を止める。このように私たちは水道の水を思ったとおりに流したり、止めたり、量を調整したりすることができます。
普段の暮しではあまり目にしないかもしれませんが、工場やビルの中、車や船や宇宙ロケットの中でこれと同じことをしているバルブがたくさんあります。
ただし、このような場所で使われているバルブの中を通るのは、ふつうの水だけではありません。熱湯、蒸気、食べ物の原料、400℃以上の高温の油、ガソリン、危険な薬品、目には見えないガスや空気、マイナス200℃未満の低温で液体になったガス、などなど実にさまざまです。
どんな相手でもしっかり「流す」「止める」「絞る」を行い、縁の下の力持ちとして私たちの暮しと産業を支えている、それがバルブです。
バルブ? 弁? 呼び名はどっち?
バルブは日本語で「弁」といいます。このホームページでもバルブと言ったり、○○弁と言ったりしていますが、使い分けの基準は何でしょうか?
あまり厳密なルールがあるわけではありませんが、安全弁、調整弁、ステンレス弁、のように、何かの修飾語が付く場合には「弁」を用いることが多く、単独で用いる場合は「バルブ」と言うことが慣習のようになっています。
いろいろな種類があるバルブの呼び方でメーカーやユーザーが混乱しないよう、JIS(日本工業規格)では一定の呼び方を定めていますが、これも規格のタイトルは「バルブ用語」なのに、中に出てくる用語は、水栓関係のものを除けば、ほとんどが「○○弁」となっています。
結局、その呼び方をする人が多くなれば、その用語が定着するので、今後も変わっていくかもしれません。上の例でいえば、「安全バルブ」という呼び方はほとんど聞いたことがありませんが、「ステンレスバルブ」という呼び方はよく耳にします。
「ゲート弁/ゲートバルブ」「ボール弁/ボールバルブ」のように、修飾語がカタカナの場合は、どちらのケースもよく使われています。本来の英語名称をカタカナにしているだけなので当たり前かもしれませんが、そうした傾向はあるようです。
なお、水道の蛇口は正しくは「給水栓」といいます。水回りのバルブの多くは「○○栓」(例えば、止水栓、分水栓)という呼び方をされます。
バルブはいつから使われているの?
バルブの起源をたどると、紀元前1000年ごろの古代エジプトの遺跡から発掘された、コック(樽についている栓のことで、バルブの一種)と推定される木製のものまでさかのぼることができます。
古代ローマ時代には、すでに貴族の家に水道のパイプが敷かれ、その出口には青銅製のコックがついていました。金属製のバルブは2000年以上も前から実用化されていたのです。水道だけでなく船でも使われていたようで、下の写真はカリグラ帝時代(紀元40年頃)のガリー船(多数のオールで漕ぐ大型軍用船)とともに引き揚げられた青銅製コックです。
わが国では、酒樽の栓などはかなり古くから使われていましたが、金属製のバルブが登場したのは1863(文久3)年、紡績用のボイラが輸入されたとき一緒に入ってきたのが最初といわれています。製造されはじめたのは明治に入ってからで、横浜市が1885(明治18)年に水道事業を開始、続いて東京ガスの事業化などにより、バルブ製造工場がつくられるようになりました。
大正の初期までは、水道・ガス・紡績用の青銅弁が需要の中心でしたが、第一次大戦後にわが国の産業が急速に発展するのにあわせて、鋳鉄製・鋳鋼製のバルブも作られるようになりました。第二次大戦後には復興建設資材として、設備の高度化を支えるためにいろいろな種類が生み出され、その用途も拡大しました。
バルブの歴史はやわかり年表
古代 (古代ローマ)
古代ローマ時代の遺跡から青銅製のコックが発掘されています。
大昔からバルブは人々の暮らしとともにありました。
BC25年頃 | ローマ第2代皇帝ティベリウスの宮殿から青銅製コック出土 |
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AD12年頃 | ボンベイ遺跡から水道用と船用の青銅製コック出土 |
AD40年頃 | カリグラ帝時代の軍船の青銅製コック出土 |
近代 (産業革命・幕末~明治)
18世紀~19世紀にかけ、蒸気機関の発明とその改良により、バルブ産業は急速に発展しました。日本国内でも幕末から明治にかけ様々な産業が誕生し、バルブも大量に使用されるようになりました。
1854(嘉永7)年 | ペリーが幕府に贈った蒸気車にバルブが組み込まれていた。我が国へのバルブ渡来として最古の記録。 |
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1872(明治5)年 | 富岡製糸工場操業開始。ここで使われた蒸気用カラン(フランス製)は、現存する我が国最古の金属製バルブ。 |
1875(明治8)年 | 武居代次郎が長野県諏訪郡平野村に中山社開業。 同社制作の繰糸機に蒸気用三方コックと給水用の木製栓が附属した。 ※国産バルブの製造の始まり |
1877(明治10)年 | 京都府勧業工場「伏水製作所」設立。殖産興業政策の一環としてカランを製造した。 |
1887(明治20)年 | 彦根でのバルブ製造始まる。現在もバルブは彦根の地場産業。 水道整備に伴い、英国製共用栓が町の要所に配置され、コレラの発生が激減。 |
1894(明治27)年 | この頃にはすでに国産の水栓も存在。水栓1つの当時の値段は1円(米15kgと同じ)。 |
- 1853(嘉永6)年
- 日本初の民営洋式造船所、石川島造船所ができる。
- 1871(明治4)年
- パルプ・洋紙、セメント、繊維製造開始。
- 1874(明治7)年
- ガス製造工業稼働開始。
- 1878(明治11)年
- 電信中央局で日本初の電灯がともる。新潟県萩平に日本初の原油パイプライン敷設。
- 1887(明治20)年
- 横浜に日本初の近代水道完成。我が国初の蒸気ボイラによる火力発電開始。
- 1901(明治34)年
- 八幡製鉄所操業開始(日本初の西洋式製鉄所)。
現代 (大正・昭和~現在)
震災や戦争など幾多の困難を乗り越え、日本は工業国として目覚ましい発展を遂げました。
バルブも様々な流体をコントロールする重要な機器として認識されてきました。
1923(大正12)年 | 関東大震災により、関東の技術者が近畿に渡り、技術交流と製造方法・設備の均一化が進む。工業用バルブ、住宅用バルブ等専門化指向も現れるようになった。 |
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1930(昭和5)年 | この頃、欧米でコントロールバルブが登場。バルブの役割が飛躍的に拡がった。国産化に成功したのは1936(昭和11)年。 |
1946(昭和21)年 | 終戦後の復興建築用、また、進駐軍向け需要から、比較的早くバルブ産業の再建が進んだ。 |
1954(昭和29)年 | 日本バルブ工業会(当時は日本弁工業会)設立。 |
1967(昭和42)年 | 国産初のシャワー付湯水混合水栓登場。 |
1968(昭和43)年 | 洗面器用シングルレバー混合栓が登場 |
1989(平成元)年 | ISO9001認証を最初に取得した日本企業はバルブメーカー。 |